御社地公園 御社地[町指定史跡]

おしゃちこうえん

隣接するおしゃっち(大槌町文化交流センター)と併せ、大槌町民憩いの中心地

~御社地とは~ 
 大槌町の仏教家・菊池祖睛(1729年~1806年)が仏道精進の場として開いた東梅社(とうばいしゃ)の跡地を指して「御社地(おしゃち)」と呼んでいます。
 明治期に入り、祖睛の後裔(こうえい)が当地を町に売却した後に、「お社の地」という意味で「御社地」と呼ばれるようになり、大槌町では、昭和63年(1988年)11月30日に町の重要な史跡として指定しました。
 震災後、復興計画に基づき、現在の「御社地公園」に整備されました。
 現在は、大槌文化交流センター(おしゃっち)と併せ、町民の憩いの場所となっています。

菊池祖睛(きくちそせい)

仏教家(1724年生~1806年没)
菊池武助(祖睛)は享保年間に大槌町四日町の菊池武左衛門吉治の子として生まれました。兄の慈泉(じせん)は古廟山を開山した僧侶です。
江戸時代頃の中頃に全国を修行行脚し、郷民強化のために一生を捧げました。
明和元年(1764)、当地を購入し、池や築山、そして自らの庵「柳下窓」を建て、仏道精進の霊場として「東梅社」を開きました。
祖睛は歌人でもあり、雅名を叔里(じゃくり)と言いました。

石碑「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」

78歳で座禅往生でなくなった菊池祖睛は碑の下で眠っているとされています。(石棺有り)
※碑は東日本大震災津波により倒伏移動していますが、その地下遺構の石棺は、残存しています。

入定地(にゅうじょうち) ※菊池祖睛入定の石棺

菊池祖睛は文化3年(1806年)、78歳の九月十五日入定断食し、4日目に寂滅しました。

※入定(にゅうじょう)・・・土や窟の中に入って死すること。
原義は単に「禅定に入る」という意味でしたが、後世、断食・生き埋めなど苦行の果てに絶命しそのままミイラ化する、いわゆる「即身仏」となる行為も、空海の入定信仰にあやかって俗に「入定」と呼ばれるようになりましたが、民間信仰の領域であり、空海のそれとは本質的に異なるものでした。

拝石(おがみいし) ※ここで拝めば諸国霊地を巡礼したことになるとされる

拝石の下には、祖睛が諸国の霊地や霊山を巡歴した折に集めて帰った土砂を埋納しており、「この揮石の上で拝するならば、諸国の霊地・霊山を巡礼したこととなる」といった内容を碑(開建の碑)に刻んでいます。
◎開建碑文の概要◎
「この拝石の上に来て拝し奉る者は、一度の参詣により伊勢両軍、西国、秩父、坂東、四国巡礼の霊地・霊山に参登したと同じ結縁となることは疑いもない。」
※土砂には鑑真大師による戒壇院の土なども含まれているといわれています。

一字一石経石(いちじいっせききょうせき)

祈願・供養のため、小石に経典を一字ずつ書いて地下に埋めたものです。
拝石(おがみいし)の前の天神社の礎石(そせき)内側から約1万5千点以上の経石を確認しました。
※おしゃっち内1階エントランスホールに一部展示あり
※礎石・・・建造物の基礎にあって柱などを支える石

おしゃっち(大槌町文化交流センター)

震災前の町の中心である『御社地』周辺にあった図書館、集会場を一つにし、2018年6月10日に大槌町文化交流センターとしてオープンした公共施設。施設の名称「おしゃっち」は、当時の小学生によって名付けられました。
『御社地』の地名の由来は、1階の展示コーナーにて詳しく紹介しています。

★おしゃっちエントランスホールに立寄ろう!!

おしゃっちエントランスホール奥の壁に「御社地」と「菊池祖睛」についての説明パネルが設置されています。
そこには、拝石(おがみいし)の前の天神社の礎石(そせき)内側から出た約1万5千点以上の一字一石経石(いちじいっせききょうせき)のうちの一部を見る事ができます。
 
その他、震災復興のパネルも展示されています。さらに2階には、震災伝承室が東日本大震災について学ぶことができますので、ぜひ覗いてみてください。

所在地 岩手県上閉伊郡大槌町末広町1-15(おしゃっち)
アクセス 大槌駅から徒歩8分
駐車場 76台(うち身障者用3台)
お問い合わせ 0193-27-5181 (一般社団法人おらが大槌夢広場)
おしゃっち開館時間 9:00~22:00 (交流スペース~21:00、3F図書館~18:00(金曜~19:00))
おしゃっち休館日 毎週火曜日 (火曜祝日時開館、翌日以降休館日)/年末年始(12/28~1/4)
おしゃっちHP等 https://www.oshacchi.com/
情報更新日 2022.2.18 ※掲載内容は、状況によって更新されます。