新巻鮭発祥の地、大槌
鮭とともにある暮らし
大槌城主・大槌孫八郎正貞と新巻鮭
中世から江戸初期まで当地を収めた大槌氏
実高1万石・財力7万石を支えた特産物と豪傑と名を馳せた大槌孫八郎正貞
時は戦国末期。豊臣秀吉が小田原北条攻めを繰り広げる頃。
大槌城主だった大槌孫八郎政貞は九戸氏の反乱には南部軍に参陣し、奥州仕置以降の和賀氏の反乱には侍大将として出陣するなど激動の時代を生きた武将として極めて優れた人物であったと書き残されています。
大槌の海や陸から上がる年貢は多く、養う人数も増え、浪人へは財を与え、領内近くの百姓・漁師にも金銭を低利で貸し、返済できない場合でも責めなかったなど、優れた政治・経済の手腕を発揮していました。また、三戸の城の石垣工事の時には、60kgもある石(金鎚とも)を片手で8回も上げたと言う怪力ぶりや、徳川家所有の荒馬をなんなく乗りこなしたとも伝わっています。
しかし、孫八郎の功績はそれだけにとどまりません。三陸海岸は、交通の不便と市場からの遠さという現在にも通じる難問を抱えており、豊富で優れた生産物がありながらも当地での消費か年貢として納めるかに限られていました。特にも山城である大槌城の堀の役割を果すたす大槌川・小鎚川は秋に鮭が豊富に獲れる川でした。
そこに、江戸という大都市が国の政治・経済の中心地としてあらわれました。孫八郎は誰よりも早くこれに注目。特産品の鮭を江戸に運べないか?と考え、鮭を塩引きにして江戸に送りました。
東北の気候が産んだ新しい味わい
江戸で火がついた「南部の鼻曲がり鮭」
鮭の塩引きの歴史は古く、平安時代には都の王朝貴族に献上されていたと言います。その製法は内臓を取り除いた鮭を塩漬けにした後、流水に浸して余分な塩を抜き、数週間干し上げます。新潟の村上に代表される塩引き鮭は、やや温暖な気候の影響で低温発酵が進み旨みが増すのに対し、東北の寒風で干し上げた塩引き鮭は、新鮮な鮭の味をそのまま閉じ込めた鮮度ある旨みを持っています。これが大いに人気を博し、江戸ではいつしか「南部の鼻曲がり鮭」と呼ばれるようになり庶民にも大変珍重されたと言います。
廻船業で隆盛を極めた江戸時代中期の前川善兵衛文書によれば、江戸中期にも鮭は貴重な贈り物となっており、南部藩の重臣連中に依頼され、貿易船で江戸の重臣や親戚に土産品として贈られていました。
乾燥させるために荒縄で吊るした鮭は荒巻鮭と呼ばれ、戦後、新年に向けて贈る品物として新物の鮭の意味で「新巻鮭」に変化していったと言われています。
戦国の気風を残していた豪傑・孫八郎の手により生まれた商品は、地域を代表する特産品として今日にも伝わっています。
南部藩から幕府への献上品とされた鮭塩引き
慶応3年に出版された大成武鑑には南部藩からの献上品として「七月ヨリ以後 初鮭 二番鮭…寒中 鮭塩引
」との記載が見られる。武鑑とは江戸時代に発行された武家の名鑑で、武家社会の情報を知りたい庶民や国元への土産を求める江戸勤番の武士などが買い求めたという。
■『大成武鑑』[2], 出雲寺万次郎, 慶応3. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2547108
新巻鮭の作り方
東北の厳しい冬を生き抜くための食の知恵
伝統の製法ながらも
作り手によって異なる味わい
新巻鮭は秋鮭の腹を割いて内臓を取り出し、塩を揉みこんで数日間漬け込み、塩を洗い流してから天日干しをして作ります。
塩を効かせて鮭の水分を抜く事で臭みを取り除き、旨味と上品な風味を残します。
基本的な製法は同じでも、作り手によって仕込み加減は千差万別。塩の擦り込み方、漬け方、干し方...こだわりが詰まって出来上がった新巻鮭は、いわばそれぞれの家庭の味です。
初冬。家々の軒先に吊るして干された新巻鮭は大槌の風物詩でしたが、秋鮭の漁獲量が著しく減少した昨今ではあまり見られなくなった風景です。
1.丁寧に捌く
大槌に帰ってきた大ぶりの秋鮭を丁寧に捌き、臭みのもととなる内臓や血合いを綺麗に取り除きます。
2.充分に塩を擦り込む
鮭のお腹に塩をつめ、体全体に塩をすり込みます。特に目には塩をよくをすり込むことで干した時に赤くなるのを防ぎます。
3.漬け込み水分を取り除く
重石をし、3日寝かせます。
この間に塩がサケの身から水分を取り除き、旨味の濃い味になります。
4.塩を落として真水で洗う
表面の塩を落とし、ぬめりや汚れをたわしと包丁できれいにそぎ、水で洗います。新巻作りで最も重要な工程で、しっかり塩とぬめりを取ったものは、黒光りしてきます。
5.腹を開いて縄をつけて吊る
頭にひもを通し、割いたお腹に棒をあて開いて吊るします。
6.寒風で干す
天気・湿度を見ながら数日間寒風にあてて干したら完成です。独特の美味しさの秘密は海からの冷たい風だとか。
【男ぶり】
自然の恵みに込められた愛
かつて、新巻鮭を作るのは大槌の女性の仕事とされていました。
彼女らはきれいに洗い上げた鮭の顔を「男ぶりだ」と言います。
男ぶりとは地元で男前を表す方言。
塩漬けされた鮭は、塩を洗い流し、白く濁った皮を丹念に洗うことで艶が出て、りりしい顔へと変わっていくのです。
文化庁 100年フード
「南部鼻曲がり鮭の新巻鮭」が100年フードに認定されました
100年フードとは日本の多様な食文化の継承・振興への機運を醸成するため、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を、文化庁が認定しているものです。
有識者による審査により、基準を満たしていることが認められないと認定されません。
100年フード認定のポイント
1.地域の風土や歴史・風習の中で個性を活かしながら創意工夫され、育まれてきた地域特有の食文化
大槌平八郎が「鮭を大槌の特産品にして江戸で売りたい」と考え、鮭の風味を落とさず長期保存できる「鮭を塩蔵にし寒風干しにする」という、大槌の風土を活用した手法を編み出し、大槌は「鮭の町」として広く知られるようになった。
2.地域において、世代を超えて受け継がれ、食されてきた食文化
誕生から400年以上の時を超えた今でも、地域の食文化として深く根付いており、新巻鮭は三陸を代表する伝統的な特産品に成長した。
3.地域の誇りとして100年を超えて継承することを宣言する団体が存在する食文化
大槌町では新巻鮭の発祥地として文化を継承するため、地元事業者をはじめ多くの関係者が力を合わせ、次世代へ向けた新巻鮭作りの体験学習が行われている。
100年フードに認定されたのは食文化であり、使用する鮭の産地は問われません。
「伝統手法により作られていること」が認定ポイントとなります。